けれども、これは、致命的な誤りなのです。なぜなら、わたしたちが核で感じる「わたしが居る」という感覚は、人生の出来事とは、まったく関係がないからです。「わたしが居る」という感覚は、「いま、この瞬間」と一つです。それは、どんなことがあっても変わることがありません。子供のときであろうと、老いたときであろうと、健やかなときであろうと、病めるときであろうと、成功の頂点にいようと、失敗のどん底にいようと、「わたしが居る」、あるいは「いま、この瞬間」のスペースは、もっとも深い次元では、永遠に不変なのです。この「わたしが居る」という感覚、あるいは「いま、この瞬間」は、大概人生の出来事と混同されやすいために、人生の出来事を通して、間接的に、しかも、かすかにしか経験されません。いいかえるなら、「わたしが居る」という感覚は、状況、思考の流れ、この世のたくさんの物事のために曖昧になっているのです。「いま、この瞬間」は、時間の観念によってぼやけてしまっているのです。こうした理由から、人間は、「大いなる存在」にどっしりと根をおろすことを忘れてしまったのです。自らの神聖な真実を忘れ、世界の中で「本当の自分」を見失っているのです。「本当の自分」を忘れてしまうと、怒り、混乱、憂鬱、衝突、軋轢は免れません。

とはいうものの、わたしたちにとって、真実を思い出すこと、そうして「我が家」にもどることは、実はとても簡単なことです。声に出して宣言してみてください。「わたしは、わたしの思考ではありません。感情でも、感覚でも、経験でもありません。わたしは、人生で起こる出来事でもありません。私は生命です。わたしはすべてを生むスペースです。