あなたは、過去にも未来にも「本当の自分」を見つけることはできません。本当の自分を見つけることができる唯一の場所は、「いま」しかないからです。魂の求道者は、未来に悟りをひらこうとします。「求める者」であるということ自体がすでに、未来を必要とすることを暗示しているからです。もしあなたが、未来に悟りをひらけると信じているならば、それが、あなたにとって真実となります。すなわち、「本当の自分」になるためには、時間など必要ないと気づくまで、時間が必要になってしまうのです。木を見ると、木の存在に気づきます。ある思考や感覚をもつと、その思考や感覚に気づきます。また、喜ばしい経験や、痛ましい経験をすると、その経験に気づきます。これらは、まがいようのない真実に思えますが、よくよく考えてみるなら、文章の構造そのものにさり気なく幻想が含まれていることに気づくでしょう。言語を使うかぎり、幻想は避けられません。なぜなら、思考と言語は必然的に二元性をともない、独立した個人をつくってしまうからです。けれども、二元性も独立した個人も存在しません。真実はどうかというと、木をながめているとき、わたしたちは木の存在に気づいている一人の人間ではありません。思考でも、感覚でも、経験でもありません。わたしたちは、これらの事象が現れる場であり、かつその媒体である、意識あるいは気づきなのです。では、これからは、自分自身がさまざまに展開する人生の出来事すべてを包含する意識であるという気づきを胸に抱いて、人生を歩いていくことができますか?「わたしは、『本当の自分』を知りたい」。あなたはそう思うかもしれません。あなた自身が「本当の自分なのです。