究極的な意味では、「いま、この瞬間」に責任をとらないかぎり、自分の人生にも責任をとっていないのです。人生を見つけられる唯一の場所は「いま」しかないからです。「いま、この瞬間」に責任をとることは、「いま、この瞬間」の状況に、気持ちのうえで逆らうことではありません。「すでにそうであるもの」と議論することではありません。それが意味するのは、人生とハーモニーを奏でることです。「いま、この瞬間」は、あるがままです。それ以外ではありえません。仏教徒が昔から知っていたこと、そして、いまでは物理学者も解明していること。それは、「どんな出来事も単独では起こっていない」ということです。たとえ見た目ではわからなくても、舞台裏では、すべてが緊密に結びついています。

あらゆる形態は、「いま、この瞬間」という姿をまとった、完全なる宇宙を構成する、欠くことのできない一部なのです。現状に、あるいは「すでにそうであるもの」に「イエス」というなら、生命のパワーと叡智に同調することができます。そうしてはじめて、わたしたちは世界をポジティブに変容する、エージェントとしての役目を果たすことができるのです。シンプルかつ画期的な精神修養は、「いま、この瞬間」にやって来たものをすべて、丸ごと受け入れてしまうことです。意識を、「いま、この瞬間」にフォーカスするときにはいつでも、感覚が研ぎ澄まされます。それは、あたかも「夢」から覚めたときのようです。ただ、ここでいう夢とは、「思考」という夢、「過去と未来」という夢です。夢から覚めれば、なにもかもが見違えるほどクリアーに、シンプルに変わります。問題が生じる余地などありません。いかがでしょうか。